我が家の恒例行事

またまたこの季節が到来。タクアン作りの始まり。やはり自分で作った方がおいしい。干し柿もタクアンも半分くらいは人にあげるけど。私の時代、小学校は給食だったけど、中学校は弁当でした。石炭ストーブの近くに棚があり、そこにみんなの弁当を入れ、温める。当時はどの子の弁当にも手作りのタクアンが必ず入っていて、4限終わりの頃は温まったタクアンの壮絶な匂いがしたもんだ。なつかしい。ウインナー、鯨肉なんかは上流階級のおかず。私の家なんか何が入っていたか忘れました。多分焼いた鰯とか味噌漬けなんかが定番だったんだろうな。昭和半ばの原風景です。当時もロッテのガムやチョコがありました。チョコレートのラミーやバッカスはとてもおいしいと思ったものです。今でもスーパーで見ると買ってしまいます。棒のアイスクリームが10円、アイスキャンデーが5円、サンマが10円、修学旅行の毎月の積み立てが100円(紙幣)。京都・奈良の修学旅行には、米を持参して旅館に持っていく時代でしたがな。テレビのチャンネルは完全なアナログで、ガチャガチャやると傷んでくる。微妙にずれるんで、新聞紙を折りたたんでチャンネルと本体の間に挟んで微調整。初めてリモコンのテレビを見たとき、これでは人間が怠け者になると思ったものです。(その通り怠け者になりました)当時サッカー部が北中に出来て、私が初代のサッカー部。長岡には附属中学校、南中学校と北中と、3校しか無かったです。地区大会で1回勝てば県大会です。見事付属中学校に勝って県大会へ。新津のどっかが会場で、風が非常に強く蹴っても蹴ってもボールが戻ってくる悪条件。しっかり負けました。当時のボールは革製で、雨の日はボールが水を吸ってまるで石を蹴っているようで、足が痛かったです。きりがないのでやめます。頑張れニッポン!!