サッカー三昧

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平成元年教員採用の私。25才で大学に入り直したり、卒業後学習塾を始めたり、教授に勧められてベンチャーのお手伝いをしたり、紆余曲折の迷走にとどめを刺してくれたのが平成元年です。新採用時にすでに組合の青年部に年齢制限で入れなかったでです(@@;)
初任地の魚沼は忘れられない地となりました。実は私、長岡北中の初代サッカー部員なんです。初任校にはサッカー部がありまして、ずっとサッカーを知っていることを秘密にしていました。なぜって、大変なんです。土日はなし、夏休みは休みなしです。しかし、あるときサッカー部の顧問が急な出張で、引率だけでいいから練習試合を見てやってくれないかということで、堀之内高校まで引率して試合を見ていました。見ているうちに、我がチームに、オフサイドのルールがわからない生徒がいて、大きな声で「こらぁ!!オフサイドだぁ!!」と何回か絶叫してしまいました。これが運の尽き(>_<)。なんだサッカー知ってんじゃん。てなわけで、数年後めでたくサッカー部の顧問を仰せつかった次第。当時の免許証の写真が笑えます。顔が真っ黒!!大型免許を取得してマイクロバスであちこち引率。あるときK高校との練習試合のこと。我がチームのキーパーと相手フォワードが1対1になってやばいとき。遠目でキーパーと接触したように見え、倒れ込んでしまいました。お互いに険悪な雰囲気に。試合は中止。あとで確認したら、キーパーが、恐怖のあまり「ひきつけ」を起こして泡を吹いたと判明。接触するまえに気絶。(弱小チームで、いい年の私の方がうまかった)私の高校は、農業科もあって、サッカーグラウンドの隣がトマト畑なんです。ボールを拾うふりして、よくトマトをかじったっけ。個人的な事情で長岡から車通勤することになり、燃費を考えて4駆のディーゼル乗用車(トヨタスプリンター)で通うことに。何しろ振動と騒音がすごい。部活を終えて自宅についてエンジンを止めると、腰がズーンと痛いやら足が重いやら、大変な通勤でした。長くなりました。つづきはまた。