近所のお寺

この十年、変わっていないような気がします。よほどの心理をついているのか、事情を聞いてみたいのですが、なにせ縁の無いお寺なもので遠慮。自分で動けない植物は、確かに死と隣り合っていますね。でもよくよく考えてみると、人間も動けるだけで、同じなんだな。年取ったせいかな、人の一生なんてドミノ倒しの一つの駒のような気がしてきました。次の駒に繋げる人もいれば、そこで終わってしまう人もいる。自分が育った五泉市の羽下も、昔の面影はほとんど失われ、長岡の新町の自宅も今はワンルームマンションに。若い頃の想い出なんて、今の人には無縁ですね、若い人はこれからが歴史です。いずれオババ、オジジになるのはすぐそこ。ドミノの一駒じゃ。(*^▽^*)割り切りが必要!!